出生から青年期 [編集]

福岡藩士杉山三郎平の長男として、現在の福岡市天神あたりで出生。明治3年(1870年)ごろ、父の帰農に従って遠賀川河口の芦屋村に移住、その後筑紫郡山家や朝倉郡夜須村などを転住。民約論や仏蘭西革命史などを読んで政治に目覚め、明治13年(1880年)、諸国巡遊に旅立ち、初めて東京へ。この間、山岡鉄舟の門人となり、また後藤象二郎や大井憲太郎などと知遇を得た。滞京一年半で帰郷するが、明治17年(1884年)、熊本の佐々友房から旅費を借りて上京、伊藤博文を悪政の根源、藩閥の巨魁と目してその暗殺を企て、山岡鉄舟の紹介状を持って面会に成功するが、逆に説伏されて断念した。(杉山茂丸『其日庵叢書第一編』『俗戦国策』『百魔続編』、室井広一『杉山茂丸論ノート』など)

伊藤暗殺を果たせなかった杉山は、官憲の追及を避けて北海道に渡るなど、各地を転々としていたが、明治18年(1885年)、熊本県人八重野範三郎の紹介により同郷の頭山満に出会い、心服して以後行動を共にした。頭山とともに福岡に戻った杉山は、玄洋社の経済基盤確立のため、頭山に炭鉱取得を勧め、自らその資金調達に奔走した。また、当時元老院議官であった安場保和を福岡県知事に就任させるための活動や、玄洋社機関紙「福陵新報」(のち九州日報を経て、福岡日日新聞と合併し、現在の西日本新聞)創刊などにも関わり、結城虎五郎とともに「頭山の二股肱」と呼ばれた。またこの時期、玄洋社員来島恒喜による大隈重信外相襲撃事件が起こり、多くの玄洋社員とともに杉山も嫌疑をかけられ収監されるという経験をした。(杉山『百魔』、藤本尚則『巨人頭山満翁』など)